ワースィク
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ワースィク(生没年不詳)は、アッバース朝の第9代カリフ(在位: 842年 - 847年)[1]。
生涯[編集]
第8代カリフ・ムウタスィムの子で、母は東ローマ帝国に連なる縁者で側室[1]。第5代カリフのハールーン・アッ=ラシードに倣って権力を保持する官僚を処罰し、844年から845年にかけてアラビアの無法地帯を打開すべく、トルコ軍人のカヴィールを派遣し、アラビアの秩序を一時的に復活させた[1]。846年、東ローマ帝国と捕虜を交換することを提案し、4362名のイスラム教徒がこれにより釈放される[1]。学者らに資金を与えて自らも多くの曲を作成するなど豊かな文化人、音楽家でもあったという[1]。
跡を弟のムタワッキルが継いだ。