ムフタディー
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ムフタディー(832年 - 870年)は、アッバース朝の第14代カリフ(在位: 869年 - 870年)[1]。
生涯[編集]
第9代カリフ・ワースィクの子で、先代の従兄弟であるムウタッズが軍人の反乱により廃位され殺害されたため、新たなカリフとして擁立された[1]。ムフタディー自身は高潔で敬虔なイスラム教徒であり、徳も高かったという[1]。ムフタディーは混乱が続くアッバース朝を再建するため、不要とみなした音楽家や女性の解雇など、大規模な改革を推進した[1]。これらはウマイヤ朝のカリフ・ウマル2世を基本にしたものが大半だったという[1]。しかし、トルコ軍人にとって改革を進めるムフタディーは邪魔でしかなく、870年に暗殺し[1]、従兄弟に当たるムウタミドを新たに擁立した。
敬虔で徳も高かっただけに期待も高く、その死去は多くの人から惜しまれたという[1]。享年38。