ムアーウィヤ1世
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ムアーウィヤ1世(Muawiya bn Abu Sufyan、603年? - 680年4月18日)は、イスラム教の5人目のカリフで、ウマイヤ朝の初代カリフ(在位:661年 - 680年)[1]。
生涯[編集]
クライシュ一族の子としてメッカで生まれる[2]。ムアーウィヤの父親はイスラム教の開祖である預言者ムハンマドを迫害していた反対派の有力者であったが、630年にムハンマドがメッカを支配下に置くとその軍門に投降し、イスラム教に帰依してムハンマドの秘書官に登用された[2]。ムハンマドの没後は歴代正統カリフの部下としてシリア方面に転戦してイスラム教の勢力拡大に貢献し、その軍功を背景にしてシリア総督に任命されてダマスカスを中心にした地域に勢力を確立[2]。さらにイスラム海軍を創設して649年にキプロス島やロードス島を征服した[2]。
656年にウマイヤ家一族の正統カリフであるウスマーンが暗殺されると、次の正統カリフとなったアリーと反乱分子の処分やカリフの継承権をめぐって抗争する[2]。661年にアリーが両者の継承権を否定するハワーリジュ派によって暗殺されると、当時シリアの総督だったムアーウィヤが第5代の正統カリフとなり、アリーの遷都したクーファからダマスカスに遷都してウマイヤ朝を開いた[1][2]。この際にアリーの遺児を説得して継承権を放棄させている[2]。
ムアーウィヤはカリフの権力を強化し、イスラムの国家化を推し進めてディーワーン制度を拡充した[1]。さらに公共事業を推進し、ジハード(聖戦)や文教の奨励を行なったり、官僚化を推し進めた[2]。これまでカリフは世襲制ではなく推薦制であったが、ムアーウィヤは息子のヤズィード1世を後継者に指名した[1][2]。680年に死去した。