フレデリック・ウィレム・デクラーク
フレデリック・ウィレム・デクラーク(Frederik Willem de Klerk、1936年3月18日 - 2021年11月11日)は、南アフリカ共和国の政治家。「デクラーク」は英語読みで、アフリカーンス語では「デクレルク」のように発音する。大統領(第7代)、副大統領(アパルトヘイト廃止後初代)、下院議員、国民党党首(第7代)を務める。アパルトヘイト体制の解体、アパルトヘイト関係法の全廃に大きな役割を果たした。2015年現在、サハラ砂漠以南のアフリカ諸国で正式に大統領に就任した最後の白人である。
略歴[編集]
南アフリカのヨハネスブルク出身で、1989年2月に白人与党の国民党の党首に選ばれる。9月に大統領に就任し、1990年2月に終身刑で服役中だったアフリカ民族会議(ANC)のネルソン・マンデラを釈放するなど、黒人弾圧で国際社会の批判を浴びた南アフリカの改革に努めた。1991年6月、アパルトヘイト根幹法の人種登録法と集団地域法、土地法を全廃し、民主国家建設に向けて邁進する政策を打ち出す。
南アフリカで初めて黒人を含む全人種が参加した1994年4月の総選挙でANCが大勝し、マンデラが初の黒人大統領に就任すると、デクラークは国民土射津政府の第2副大統領に就任し、円滑な政権移行に貢献していたが、ANCと国民党が対立し、さらにデクラークとマンデラとの間でも対立や確執があり、結局国民党は1996年6月にマンデラ政権から離脱した。また、1993年に南アフリカの核開発を公表し、1970年代以降から秘密裏に日本の広島市に投下されたものと同等の威力を持つ原子爆弾を6個製造したとされるが、1990年代までに自主的に廃棄したとされる。
1997年9月、国民党が罪深い過去を断ち切ったことを証明するという理由から政界を引退したが、その後も元大統領として発言力や影響力を保持し、人種の枠にとらわれず政策を立案する「穏健派連合」の設立の必要性を訴えたり、黒人政権に対する批判をしたりした。