チリアーコ・デ・ミータ

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ルイージ・チリアーコ・デ・ミータ: Luigi Ciriaco De Mita1928年2月2日 - 2022年5月26日)は、イタリア政治家。デ・ミータはデミータと書かれることも多い。下院議員(11期)、首相(1988–89年)、キリスト教民主主義書記長(第15代)を歴任。

略歴[編集]

イタリア王国南部のナポリ近郊の町であるヌスコで生まれる。同国北部のミラノカトリック大学を卒業後、弁護士となる。1963年に下院議員に初当選した。

キリスト教民主党の要職や閣僚などを歴任し、1988年に首相に就任する。社会党や共和党など、5党連立内閣を率いるも内部対立から1年ほどで退陣を余儀なくされた。首相在任中の1989年に訪日し、当時の日本の首相だった竹下登と会談している。

2014年に生まれ故郷のヌスコで町長を務め、2019年に再選して生涯を政治家として現役で貫いた。

2022年5月26日にイタリア南部・アベリーノの施設で94歳で死去した。死因は不明だが、死去する3か月前の2月に転倒が原因で大腿骨を折るケガをしていたという。

関連項目[編集]