スーダン
スーダン共和国(スーダンきょうわこく)は、アフリカ北東部に位置する国家。アフリカ連合加盟国。
概要[編集]
面積は1,886,068km²。首都はハルツーム。人口は2019年の時点で約4300万人。最大の都市はオムドゥルマン(オムデュルマン、オムダーマン)。
エジプト・アラブ共和国、リビア国、チャド共和国、中央アフリカ共和国、エチオピア連邦民主共和国、エリトリア国、南スーダン共和国と国境を接している。海岸線では紅海とも接し、対岸側ではサウジアラビアと接する。公用語:アラビア語、英語。
2023年4月17日、日本外務省はスーダンへの渡航注意レベルを3に引き上げた[1]。
歴史[編集]
独立[編集]
1956年1月1日に英埃領スーダンからスーダン共和国として独立。独立を主導したウンマ党による政権が樹立した。
第一次クーデター[編集]
1958年11月にイブラヒム·アブード中将がクーデターを起こす。ウンマ党が政権から引きずり降ろされ、1964年まで政権をつかむこととなる。軍事政権を築いて、綿花依存の経済からの脱却を目指すも、南スーダンの問題が激化。1964年の10月革命で政権から降りる。
第二次ウンマ党政権[編集]
1965年に選挙が行われ、ウンマ党を中心とした政権が樹立した。
第二次クーデター[編集]
1969年に陸軍によるクーデターでモハメド・アン=ヌメイリによる政権が樹立。スーダン民主共和国と国名が改められる。政党・政府機関を閉鎖・禁止する政策を実行。アジスアベバ協定に署名して、南スーダンが自治を要求して起こった第一次内戦を終結させた。
第二次内戦[編集]
1983年9月にイスラム法を導入したことに反発した南スーダンのスーダン人民解放軍と政府軍との間で第二次内戦が勃発した。
第三次ウンマ党政権[編集]
1985年4月にクーデターが勃発して、ヌメイリは国外に亡命。国名はスーダン共和国に戻り、再びウンマ党政権が発足する。
第四次クーデター[編集]
1989年6月30日、オマル・アル=バシール准将によるクーデターが勃発。民族イスラーム戦線(NIF)の後ろ盾の元で、イスラム化を推しすすめる。1993年以降、アメリカ合衆国によってテロ支援国家に指定されている。
一度は政党結成の自由などが認められるも、議会との対立から非常事態宣言をする。議会を解散させて新たに内閣を作りなおして、独裁化を推し進めていく。2010年4月に複数政党制の選挙が行われるも、大統領の不正を理由に野党がボイコットした。
南スーダン分離[編集]
2005年、包括和平合意が成立。2011年1月9日の国民投票によって南スーダンの独立が決定。2011年7月9日に南スーダン共和国として独立した。この独立によって石油生産量の減少などで経済が悪化し、2019年4月、反政府デモとクーデターでオマル・アル=バシールの長期政権が退陣する。同年8月、軍民共同統治が実施された。
国旗[編集]
スーダンの国旗は、赤・白・黒・緑の汎アラブ色が使われ、左に緑の三角形があしらわれている。
国民[編集]
- アラビア系(アラブ人、イスラム教の黒人、混血)42%、キリスト教の黒人45%、土着宗教の黒人7%、その他6%