コミッション裁判
コミッション裁判(英語:The Mafia Commission Trial、正式名称:United States v. Anthony Salerno, et al)[1]は、1985年2月25日から1986年11月19日にアメリカ合衆国ニューヨーク市のニューヨーク州南部地区連邦地方裁判所で行われた刑事裁判である。FBIが入手した証拠を基にして、ニューヨークの「5大ファミリー」の代表を含む11人の組織犯罪関係者が、連邦検事ルドルフ・ジュリアーニに恐喝、労働組合搾取、殺人などの罪でRICO法に基づき起訴された。そのうちの8人がRICO法で有罪判決を受け、そのほとんどが1987年1月13日に同法の最高刑である懲役100年を言い渡された。
この訴訟はニューヨークの5大ファミリーのボスによって構成され、紛争を解決したり犯罪行為について話し合ったりするための裁定委員会である「コミッション」に打撃を与えた。タイム誌はこの裁判を「訴訟の中の訴訟」(Case of Cases)と呼び、「1943年にシカゴ・マフィアの最高司令部が一掃されて以来の、組織犯罪の基盤に対する最も重要な攻撃」かもしれないとし、「我々のアプローチは…5大ファミリーを一掃することだ」というジュリアーニが表明した意図を引用した[2]。
背景[編集]
1983年にFBIはラルフ・スコポが請負業者から金をゆすり取る様子を盗聴したいくつかのやり取りを録音した[3]。スコポは1977年から1985年4月まで国際建設労働組合(LIUNA)のセメント・コンクリート労働者地区評議会の会長だった[3]。この間、スコポはニューヨークのセメント工事請負業者から大規模な工事契約と労使間和平の見返りとして金をゆすり取るためにその地位を利用していた。200万ドルから1500万ドルの契約は、「コンクリートクラブ」と呼ばれるコミッションが選んだ請負業者のクラブに予約されていた[4]。その見返りとして請負業者は契約額の2パーセントをコミッションにキックバックしていた[4][5]。
ジェンナーロ・ランジェラは、コンクリート・クラブへの出資を含むコロンボ・ファミリーのための様々な労働組合搾取を監督し、セメント・コンクリート労働者地区評議会、ローカル6Aを含む様々な労働組合に支配力を行使していた[6]。またアンソニー・サレルノは、S&Aコンクリート社やトランジット・ミックス・コンクリート社の隠れた経営権を持っていた[7]。
1980年代初頭、アンソニー・コラーロは知らず知らずのうちに自分のキャリアをほとんど終了させる証拠を政府に提供していた。コラーロとサルヴァトーレ・アヴェリーノは長年にわたって、ロングアイランドの廃棄物運搬業を支配していた。アヴェリーノに不利な証拠を集めるため、ニューヨーク州組織犯罪タスクフォース(OCTF)のメンバーは、秘密情報提供者のロバート・クベッカを使った。彼はニューヨーク州サフォーク郡のゴミ運搬業のオーナーだった。1970年代からクベッカは廃棄物運搬業のマフィア支配に参加することを拒み、その結果として大きな嫌がらせを受けていた。1982年にクベッカはマフィアとの会合で監視装置をつけることに同意した。クベッカはアヴェリーノ本人に近づくことはできなかったが、クベッカが集めた情報は最終的に裁判官を説得して、ニューヨーク州ニセコーグにあるアヴェリーノの自宅電話の盗聴を許可させた。この自宅電話の盗聴も捜査官にとっては期待外れであったが、アヴェリーノが自身の車にコラーロを乗せて一日中ドライブをしていたことが明らかになった[8]。
1983年にニューヨーク州組織犯罪タスクフォース(OCTF)のメンバーは、アヴェリーノとその妻がディナーダンスに行っている間に彼のジャガーのダッシュボード内に電子監視装置を設置した[9]。そして捜査官はコラーロ、アヴェリーノ、および他のマフィアたちが街中をドライブする間の多くの会話を聞いた。これらの記録された会話から、OCTFはコミッションの内部構造、歴史、他のファミリーとの関係を知った。これらの会話は連邦検察官と共有され、コミッション裁判でコラーロや他のファミリーのボスに不利となる貴重な証拠を提供した[8][10]。
裁判[編集]
被告[編集]
1985年2月25日に起訴・逮捕された9人の被告:[11]
- ポール・"ビッグ・ポール"・カステラーノ(ガンビーノ・ファミリーのボス)
- アンソニー・"ファット・トニー"・サレルノ(ジェノヴェーゼ・ファミリーのボス)
- アンソニー・"トニー・ダックス"・コラーロ(ルッケーゼ・ファミリーのボス)
- フィリップ・"ラスティー"・ラステリ(ボナンノ・ファミリーのボス)
彼らの部下であると考えられる、
- アニエロ・デラクローチェ(ガンビーノ・ファミリーのアンダーボス)
- ジェンナーロ・"ジェリー・ラング"・ランジェラ(コロンボ・ファミリーの代理ボス、アンダーボス)
- サルヴァトーレ・"トム・ミックス"・サントロ(ルッケーゼ・ファミリーのアンダーボス)
- クリストファー・"クリスティー・ティック"・フルナイ(ルッケーゼ・ファミリーのコンシリエーレ)
- ラルフ・"リトル・ラルフ"・スコポ(コロンボ・ファミリーのソルジャー)
直後に追加された被告:[12]
- カーマイン・"ザ・スネーク"・ペルシコ(コロンボ・ファミリーのボス)
- ステファノ・カノン(ボナンノ・ファミリーのコンシリエーレ)
- アンソニー・"ブルーノ"・インデリカート(ボナンノ・ファミリーのカポ)[13]
進展[編集]
1985年2月25日、ニューヨーク・マフィアのリーダー9人が麻薬の不法取引、高利貸し、賭博、労働組合搾取、建設会社に対する恐喝の罪で起訴された[11]。1985年7月1日、当初の9人にニューヨーク・マフィアのリーダー2人が加わり、裁判の一環として第2の不正利得罪について無罪を申し立てた。検察は彼らのコミッションへの関わりを利用して一度にすべてのファミリーを攻撃することを狙った[12]。1985年12月2日、デラクローチェが癌で死亡した[14]。1985年12月16日、カステラーノが殺害された[15]。
コロンボのヒットマンでFBIの情報提供者であるグレゴリー・スカルパによると、ペルシコとガンビーノのボスであるジョン・ゴッティは、1986年末に首席検察官で後のニューヨーク市長であるルディ・ジュリアーニの殺害計画を支持したが、コミッションの残りのメンバーによって拒否された[16]。
1980年代初頭、ボナンノ・ファミリーはドニー・ブラスコ潜入事件が原因でコミッションから追放された。ラステリは最初に起訴された1人だったが、コミッションからの解任により、コミッション裁判からの分離が許可され、後に別の労働組合搾取の罪で起訴された。すでにコミッションの議席を失っていたため、ボナンノはこの訴訟で他のファミリーよりも露出することがなかった[17][18] 。
弁護士たちは証拠を見て、クライアントに勝ち目がないことを悟った。弁護士たちが司法取引の条件を探ったところ、ジュリアーニは被告が獄死することがほぼ確実な判決が伴う起訴状の中で最も重い罪を認めることを要求した[19]。その結果、7人の被告側弁護士とペルシコの法律顧問(ペルシコは自分の弁護士として活動していた)は、マフィアとコミッションの存在は認めるが、マフィアの一員であることやボスであることそれ自体は犯罪行為の証拠にならないと主張することにした。当初、マフィアたちはオメルタ(沈黙の掟)を破ることになると考えて難色を示した。しかし、弁護士たちは自分たち自身がマフィアについて言及している記録があるにもかかわらず、マフィアの存在を否定することは信用を失わせることになるとクライエントに言い聞かした[20]。最終的にマフィアたちはマフィアの存在を個人的に認めない限りでこの戦略に同意した[21][22]。
評決[編集]
6日間の審議の後、1986年11月19日に陪審員は8人の被告に有罪を言い渡した。インデリカートはカーマイン・ギャランテに対する殺人の罪で有罪判決を受け、他の7人は「コンクリート・クラブ」を運営したことによるラケッティングで有罪判決を受けた[13][5]。1987年1月13日にリチャード・オーウェン判事は以下のような判決を言い渡した[23][24]。
被告 | 地位 | 罰 | 現状 | 没年月日 |
---|---|---|---|---|
アンソニー・"ファット・トニー"・サレルノ | ジェノヴェーゼ・ファミリーのボス | 100年の禁固刑と24万ドルの罰金刑 | 死去 | 1992年7月27日、連邦刑務所収容者医療センター[25] |
アンソニー・"トニー・ダックス"・コラーロ | ルッケーゼ・ファミリーのボス | 100年の禁固刑と24万ドルの罰金刑 | 死去 | 2000年8月23日、連邦刑務所収容者医療センター[26] |
サルヴァトーレ・"トム・ミックス"・サントロ | ルッケーゼ・ファミリーのアンダーボス | 100年の禁固刑と25万ドルの罰金刑 | 死去 | 2000年1月、連邦政府による拘束中 |
クリストファー・"クリスティー・ティック"・フルナイ | ルッケーゼ・ファミリーのコンシリエーレ | 100年の禁固刑と24万ドルの罰金刑 | 死去、2014年9月19日に釈放済 | 2018年5月28日[27] |
カーマイン・"ザ・スネーク"・ペルシコ | コロンボ・ファミリーのボス | 100年の禁固刑と24万ドルの罰金刑 | 死去 | 2019年3月7日、デューク大学医療センター[28] |
ジェンナーロ・"ジェリー・ラング"・ランジェラ | コロンボ・ファミリーの代理ボス、アンダーボス | 100年の禁固刑と24万ドルの罰金刑 | 死去 | 2013年12月15日、連邦刑務所収容者医療センター[29] |
ラルフ・"リトル・ラルフ"・スコポ | コロンボ・ファミリーのソルジャー | 100年の禁固刑と24万ドルの罰金刑 | 死去 | 1993年3月9日、連邦政府による拘束中[30] |
アンソニー・"ブルーノ"・インデリカート | ボナンノ・ファミリーのカポ | 40年の禁固刑と5万ドルの罰金刑 | 1998年に釈放[31] |
サレルノは当初、ジェノヴェーゼ・ファミリーのボスということになっていた。しかし、裁判の直後にサレルノの長年の右腕であったヴィンセント・"ザ・フィッシュ"・カファロが情報提供者となり、サレルノは真のボスであるヴィンセント・"チン"・ジガンテの隠れ蓑であったことをFBIに明かした。またジェノヴェ―ゼ・ファミリーが1969年からこの策略を続けていたことも明らかにした[32][33]。しかし、ニューヨーク・タイムズ紙の組織犯罪レポーターであるセルウィン・ラーブによると、このことはサレルノのコミッション裁判での有罪判決や100年の懲役刑を危うくするものではなかった。ラーブは著書『5大ファミリー』の中で、サレルノがジェノヴェーゼのボスであることではなく、具体的な犯罪行為で裁判にかけられ、有罪判決を受けたことを指摘した[34]。
出典[編集]
- ↑ Raab, p. 273
- ↑ Stengel, Richard. Stengel, Richard (2001年6月24日). “The Passionate Prosecutor.”. Time 2006年11月15日閲覧。 Time online, posted June 24, 2001.
- ↑ a b “COLOMBO JURY HEARS TAPE OF '83 CONVERSATION ABOUT PAYMENTS”. nytimes.com (1985年12月21日). 2019年12月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年12月20日確認。
- ↑ a b director, from the New York State Organized Crime Task Force ; Ronald Goldstock 『Corruption and racketeering in the New York City construction industry : final report to Governor Mario M. Cuomo』 New York University Press、New York、1990年、79頁。ISBN 0-8147-3034-5。
- ↑ a b Lubasch, Arnold H (1986年11月20日). “U.S. Jury Convicts Eight as Members of Mob Commission”. The New York Times 2011年10月13日閲覧。
- ↑ “United States v. Local 6A, Cement & Concrete Workers, 663 F. Supp. 192 (S.D.N.Y. 1986)”. 2019年12月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年12月20日確認。
- ↑ Lubasch, Anrold H. (1986年3月22日). “Reputed Mob Leader Among 15 Indicted on Racketeering Counts”. New York Times 2017年7月22日閲覧。
- ↑ a b Raab, Selwyn 『Five families : the rise, decline, and resurgence of America's most powerful Mafia empires』 Thomas Dunne Books、New York、2005年、1st。ISBN 0-312-30094-8。「avellino.」
- ↑ “TWO ON MOB TRIAL TAPE SAY TO KILL DRUG SELLERS”. nytimes.com (1986年9月23日). 2019年12月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年12月20日確認。
- ↑ Feuer, Alan (2000年9月1日). “Anthony Corallo, Mob Boss, Dies in Federal Prison at 87”. The New York Times 2011年11月30日閲覧。
- ↑ a b Lubasch, Arnold H. (1985年2月27日). “U.s. Indictment Says 9 Governed New York Mafia”. 2019年12月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年12月19日確認。
- ↑ a b “11 Plead Not Guilty to Ruling Organized Crime in New York”. The New York Times. (1985年7月2日) 2011年10月19日閲覧。
- ↑ a b “JUDGE SENTENCES 8 MAFIA LEADERS TO PRISON TERMS”. nyimes.com (1987年1月14日). 2016年3月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年3月6日確認。
- ↑ Blumenthal, Ralph (1985年12月4日). “ANIELLO DELLACROCE DIES AGE 71; REPUTED CRIME-GROUP FIGURE”. New York Times 2011年12月19日閲覧。
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- ↑ Sullivan, John (2007年10月25日). “Crime Bosses Considered Hit on Giuliani”. The New York Times 2011年10月19日閲覧。
- ↑ DeStefano, Anthony M. 『King of the godfathers』 Citadel Press/Kensington Publishing、New York、2008年、Trade paperback ed. (updated).、15頁。ISBN 978-0-8065-2874-8。
- ↑ “Fact file: Who is Joe Pistone – a.k.a. Donnie Brasco?”. globalnews.ca (2012年9月24日). 2019年11月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年1月1日確認。
- ↑ Raab, p. 291.
- ↑ Raab, pp. 291-292.
- ↑ Raab, p. 292
- ↑ Margot Hornblower (1986年9月19日). “Mafia 'Commission' Trial Begins in New York”. The Washington Post 2020年2月29日閲覧。
- ↑ Lubasch, Arnold H. (1987年1月14日). “Judge Sentences 8 Mafia Leaders to Prison Terms”. The New York Times 2011年10月13日閲覧。
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- ↑ Dao, James (1992年7月29日). “Anthony (Fat Tony) Salerno, 80, A Top Crime Boss, Dies in Prison”. New York Times 2017年7月22日閲覧。
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- ↑ "Man Tied to Crime Family Is Shot to Death in Queens" Archived 2017-11-08 at the Wayback Machine. By GEORGE JAMES New York Times October 22, 1993
- ↑ “Mob Soldier Faces a Return To Jail for Parole Violations”. nytimes.com (2001年7月18日). 2009年11月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年11月2日確認。
- ↑ Raab, pp. 556-557.
- ↑ "MAJOR MAFIA LEADER TURNS INFORMER, SECRETLY RECORDING MEETINGS OF MOB" Archived 2016-03-04 at the Wayback Machine. By ARNOLD H. LUBASCH New York Times March 21, 1987
- ↑ Raab, p. 309-310
参考文献[編集]
- The Five Families by Selwyn Raab
- The Mafia Encyclopedia by Carl Sifakis
- The Sixth Family by Adrian Humphreys and Lee Lamothe
- The Last Godfather by Simon Crittle
- DeStefano, Anthony. The Last Godfather: Joey Massino & the Fall of the Bonanno Crime Family. California: Citadel, 2006.
- Pistone, Joseph D.; & Brandt, Charles (2007). Donnie Brasco: Unfinished Business, Running Press. ISBN 0-7624-2707-8.
外部リンク[編集]
- Magnuson, Ed. Magnuson, Ed (2001年6月24日). “Hitting the Mafia”. Time 2006年11月15日閲覧。 Time.com January 24, 2001.