エガオヲミセテ
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エガオヲミセテ | |
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欧字表記 | Egao o Misete |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牝 |
毛色 | 栃栗毛 |
生誕 | 1995年5月27日 |
死没 | 2000年2月11日(6歳没・旧表記) |
父 | サンデーサイレンス |
母 | カーリーエンジェル |
母の父 | ジャッジアンジェルーチ |
生国 | 日本(北海道早来町) |
生産 | ノーザンファーム |
馬主 | 小田切有一 |
調教師 | 音無秀孝(栗東) |
競走成績 | |
生涯成績 | 19戦4勝 |
獲得賞金 | 2億3539万6千円 |
エガオヲミセテは、日本の競走馬である。
生涯[編集]
珍名馬を多数有する小田切有一氏の所有馬で、JRA所属馬として初めて馬名に「ヲ」を使用した馬。父・サンデーサイレンスは説明するまでもない日本の競走馬の血統を塗り替えた大種牡馬、母・カーリーエンジェルは現役時代に18戦5勝した名牝ダイナカールの娘。
1997年11月2日に京都開催の新馬戦でデビューするも18頭立ての15着に終わる。しかし3週間後の同条件のレースで勝利する。翌年1998年は忘れな草賞より始動する。忘れな草賞での9着を経て、次走のスイートピーステークスで勝利し、優駿牝馬では15着に沈むもマーメイドステークスでは3着に浮上。夏の休養を経て秋華賞へ出走すると4着。エリザベス女王杯での8着を経て、98年シーズン最終戦となった阪神牝馬特別で勝利する。
1999年は京都牝馬特別から始動すると2走目のマイラーズカップで1着となった以外、掲示板に載る事はあっても勝利出来なかった。2000年は東京新聞杯から始動するも14着に終わる。東京新聞杯後、社台グループの山元トレーニングセンター(山元トレセン 宮城県亘理郡山元町)へ放牧に出された。
しかしエガオヲミセテが山元トレセンに滞在中の2月11日、厩舎1棟が漏電による火災で全焼。全焼した厩舎には30頭の競走馬がいたが、発見が遅かったために救出が間に合わず、エガオヲミセテを含む22頭が焼死する大惨事となった。