アドルフ・シュトゥルムタール
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アドルフ・シュトゥルムタール(独:Adolf Sturmthal,1903年10月9日 - 1986年11月6日)は、アメリカ合衆国の政治学者、社会学者、オーストリア系の労働研究と国際関係が専門のジャーナリスト。
経歴[編集]
オーストリアのウィーンで生まれる。1925年にウィーン大学で政治学の博士号を取得。「Association of Austrian Social Democratic Students and Academics」の会長だった。1926年にフリードリヒ・アドラーを支援するためスイスのチューリッヒに移住し、社会主義労働者インターナショナルの書記、『国際情報』誌の記者となった。1933年と1934年にオーストロファシスト・ドルフースとナチス政権を逃れたドイツとオーストリアの社会主義者の難民のための国際援助を組織した[1]。パスポートの不正使用疑惑で起訴された後、ベルギー、イギリスを経て、1938年にアメリカに移住した[2]。
シカゴのルーズベルト大学で初のフィリップ・マレー国際学部の教授となった。1960年にイリノイ大学の労働・産業社会学の教授となった。
1986年にコネチカット州のエイヴォンで亡くなった。その当時イリノイ州のシャンペーンに住んでいた。
著作[編集]
※邦訳
- 『ヨーロッパ労働運動の悲劇――1918〜1939年』1・2、A.シュトゥルムタール著、神川信彦、神谷不二訳、岩波書店(岩波現代叢書)、1958年
- 『工場委員会――職場組織の国際比較』 A.シュトゥルムタール著、隅谷三喜男、初岡昌一郎訳、日本評論社、1967年
- 『ヨーロッパ労働運動――統一と多様』 A.シュトゥルムタール著、坂井秀夫訳、福村出版(福村叢書)、1972年
脚注[編集]
- ↑ “Adolf Sturmthal Papers”. International Institute of Social History.
- ↑ “Obituary: Adolf Sturmthal”. New York Times. (1986年6月13日)