上坪陽
上坪 陽(かみつぼ ひかり、1932年 - )は、地方公務員、社会運動家。元東京都職員。高齢者運動で活躍した[1]。ともろぎゆきおのペンネームで詩作・作詞、峯陽(みね よう)のペンネームで作詞・作曲活動も行う[2][3]。
経歴[編集]
ソウル生まれ。満州出身[4]。母はクリスチャンで戦争に反対したため教会から破門された。さらに共産党シンパ事件で捕まった父の弟が転がりこんできたため父が経営していた設計事務所が潰れ、夜逃げして満州に渡った。その後、両親は別れたため母子家庭で育ち[5]、中学3年のとき日本に引き揚げた[6]。高校生の頃は大阪市内の生活擁護同盟の事務局長を務めたり、診療所づくりの運動を手伝ったりした[7]。大阪外国語大学中国語科に入るが、1年後に東京大学に入り[8]、東大音感合唱研究会で井上頼豊、関忠亮、北川剛に師事した[9]。1959年東京大学経済学部卒業後、東京都庁に就職、社会福祉関係の仕事に従事[2]。その傍ら創作活動も始めた[9]。
葛飾区の福祉事務所に勤務していたとき、我伊野徳治(のち東京都生活と健康を守る会連合会会長)と出会い本格的に福祉の勉強を始める。分会長を務めていた労組の福祉事務所の分会で会場を作り、葛飾の「生活と健康を守る会」主催で生活保護について知る会を開いた[7]。1971年頃から老人問題に関わり、東京都老後保障推進協議会(都老協)などに参加。1974年全国老後保障地域団体連絡会(全国老地連)結成と同時に事務局長に就任[2]。
1988年時点で東京都職員、児童福祉司、全国老地連事務局長[2]。1997年時点で都立高等保育学院講師、日本体育大学短大講師[10][11]。1999年時点で全国老地連事務局長[12]。2011年時点で全国老地連代表委員、生存権裁判を支援する全国連絡会代表委員[3]。2014年時点で日本高齢者運動連絡会(日高連)代表、日本高齢者NGO会議議長、日本少年少女合唱連盟会長、福祉のひろば全国編集委員[9]。2020年時点で日高連顧問[13]。
作詞・作曲した楽曲は子ども・幼児向けが多く[1]、少なくとも約30の作品がNHK「みんなのうた」で放送されている[14]。代表作に「あなたとわたしと花たちと」(作詞)、「おばけなんてないさ」(作曲)などがある。
著書[編集]
- 上坪陽名義
- 『日向に坐って地球の回る音をきく』(宮下忠子共著、人間の科学社、1978年)
- 『歩きはじめた老人たち――東海道大行進旅日記』(大月書店、1979年)
- 『全盲の母堀木文子からあなたへ』(堀木文子共編著、あいわ出版、1982年)
- 『沢内村奮戦記――住民の生命を守る村』(太田祖電、増田進、田中トシ共著、田邊順一写真、あけび書房、1983年)
- 『高齢者運動宣言』(編、自治体研究社、1988年)
- 『高齢者運動今日と明日』(総合社会福祉研究所編、総合社会福祉研究所[高齢者講座シリーズ]、1989年)
- 『日本の福祉を築いて127年――養育院の解体は福祉の後退』(養育院の存続と発展を求める全都連絡会編、一番ヶ瀬康子、小川政亮、河合克義、佐野英司、本間信吾ほか共著、萌文社[ゆたかなくらしブックス]、1999年)
- ともろぎゆきお名義
- 『みのべさん――朗読のための詩集』(詩、八木紘一郎絵、都政新報社、1971年)
- 『愛と告発のバラード――二人のケースワーカーの記録』(青木みつお共著、都政新報社、1971年)
- 『すばらしいあしたのために――母と子の朗読詩』(かんだふみよ共著、さ・さ・ら書房、1971年)
- 『保育労働者のための養護論ノート』(かんだふみよ共著、ささら書房、1972年)
- 『はたらくものの養護論ノート』(小田東雄、大塚勇治、鈴木政夫共著、社会福祉文化集団、1974年)
- 『草原の船――個人的な詩集』(作、社会福祉文化集団、1976年)
- 『子どものいる風景――詩と写真による児童福祉の記録』(青木みつお、片山けい共著、1986年)
- 『青葉・少女・夕映え』(青木みつお、関義男共著、えすてむ、1992年)
- 『カレーライスのうた』(作詞、いけずみひろこ絵、チャイルド本社[はじめましてのえほん]、2010年)
主な作品[編集]
作詞・作曲[編集]
- ライオンのうた(峯陽作詞作曲)[9]
- タンポポの歌(峯陽作詞作曲)
- 宇宙船のうた(ともろぎゆきお作詞、峯陽作曲)
- 春がきたんだ(ともろぎゆきお作詞、峯陽作曲)[1]
- 一人はみんなのために~全生連30周年に寄せて(ともろぎゆきお作詞、峯陽作曲)[15]
- あなたとわたしと―生存権裁判勝利のために―(ともろぎゆきお作詞、峯陽作曲)[3]
作詞[編集]
訳詩[編集]
- 朝の歌(マレーシア民謡、峯陽作詞)
- 牛飼いのヨーデル(スイス民謡、峯陽作詞)
- 美しいカハナの島(ハワイ民謡、峯陽作詞)[1]
作曲[編集]
出典[編集]
- ↑ a b c d e f “プログラム(PDF)”. 混声コーラス ら・ら・ら. 2020年5月2日確認。
- ↑ a b c d 『高齢者運動宣言』著者紹介
- ↑ a b c 生存権裁判 全国生活と健康を守る会連合会
- ↑ 『高齢者運動宣言』157頁
- ↑ 『高齢者運動宣言』70-71頁
- ↑ 『高齢者運動宣言』120頁
- ↑ a b 『高齢者運動宣言』144-146頁
- ↑ 『高齢者運動宣言』156-157頁
- ↑ a b c d “音楽と子どもたち 峯陽(上坪陽)さんを囲む集い(PDF)”. 総合社会福祉研究所 (2014年). 2020年5月2日確認。
- ↑ “「西新宿」7月号(No.233)(PDF)”. 新宿区立西新宿小学校 (2017年7月1日). 2020年5月2日確認。
- ↑ 西新宿小学校校歌 新宿区立西新宿小学校
- ↑ お年寄りが喜べる社会を 全国生活と健康を守る会連合会
- ↑ 組織|日高連について 日本高齢期運動連絡会
- ↑ 「峯陽」の検索結果 NHKみんなのうた
- ↑ 一人はみんなのために うたごえ喫茶のび