お笑いスター誕生!!
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お笑いスター誕生とは日本テレビで、土曜日午後に放映されていたお笑い番組。『スター誕生』のお笑いバージョン。
概要[編集]
漫才ブームに少し先行して開始した、日本テレビの長寿芸能オーディション番組『スター誕生!』をお笑い新スター発掘にオマージュした感じの番組。
日本テレビおよび主要系列局では、1980年4月から土曜正午の時間帯、末期は日本テレビと一部系列局で土曜夕方に放送されていた。
プロへの登竜門+売れないプロ芸人のお披露目的な意味合いを持つ番組だった。
審査[編集]
審査システムは勝ち抜き戦。本家の『スター誕生!』と違って毎週の優勝者を決めず、審査によって3週目で銅賞が、5週目で銀賞が、8週目で金賞、10週目でグランプリが個々の勝抜者に与えられた。なお、失格しても、3ヶ月後に再出場が可能となっていた。
シリーズ後半になるとお笑い芸人の数が減ったので、連続参加のサバイバルシリーズや紅白戦を行うようになった。
出身者[編集]
ここから、B&Bが初のグランプリ、おぼんこぼんが2人目のグランプリを獲得したことで番組の知名度が上がった。
とんねるずやギャグシンセサイザーのように、アマチュアで出場して途中でプロ転向したグループや、小柳トム、イッセー尾形、でんでんのように、後に異分野で成功した出場者もいる。
なお、ここで勝ち抜けずに、テレビ朝日の『ザ・テレビ演芸』に賭けた芸人も多い。それでも勝ち抜けた芸人は数少ない。
他に巣立ったお笑い芸人は
らである。
司会[編集]
審査員[編集]
余談[編集]
- 小劇場ブームも影響していたのか演劇や新劇あがりの挑戦者は多い。イッセー尾形は芝居をやっていたし、ブッチャーブラザーズも芝居畑出身である。シティボーイズや怪物ランド、ピックルスも演劇人である。後期に出たパロディフライも演劇関係者である。またキモサベ社中はここからキャラバンを経て劇団ニュースペーパーになった。
- 番組初期は、とんねるずのように、同じ系列のTVジョッキーの視聴者コーナーチャンピオンの出演者もいた。但し、柳沢慎吾は当番組への出演を断っている。
関連項目[編集]
- お笑い君こそスターだ! - フジテレビの笑ってる場合ですよ!で設定されていた新人発掘コーナー。こちらもフジの長寿芸能オーディション番組からコーナー名がオマージュされていた。
- 爆笑ヒット大進撃!! - 上位入賞者等が土曜のプライムタイムにお披露目するような、同じ日本テレビ系の番組。
- びっくり日本新記録 - 轟二郎はほぼ同時期に当時の相方と出場したが、芸人としての知名度上昇はイマイチだった。
参考文献[編集]
- 『お笑いスター誕生!!』、1981年4月7日。