ブッチャーブラザーズ
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ブッチャーブラザーズは日本のコントコンビ。リッキーとぶっちゃあがメンバーである。
概要[編集]
サンミュージックプロダクション所属。サンミュージックがお笑いから一時撤退した時は別事務所所属だったが、サンミュージックでは古参の芸能人で後輩からの信頼も厚い。
リッキー(本名:岡博之)は、サンミュージックプロダクションで2021年に副社長、2023年に社長に就いている。なお、リッキーは所属事務所の役員に就いても芸人は引退していない。
略歴[編集]
2人とも京都府出身で東映京都撮影所の養成所の出身。ブッチャーは役者を目指し、リッキーは製作方を目指していた。京都での撮影に参加していた森田健作に誘われ、付き人として上京し、サンミュージック所属の芸能人となる。『笑ってる場合ですよ』の帯コーナー「お笑い君こそスターだ」で5日間勝ち抜いてプロになる。その後『ザ・テレビ演芸』の新人勝ち抜き戦で三週勝ち抜いてチャンピオンに。チャンピオン大会ではグランドチャンピオンになる。しばらく間を開けてNHKの『爆笑オンエアバトル』に登場するもオンエアはならなかった。
ネタ[編集]
ランドセルを背負った少年が出てくるファンタジックなコントや桃太郎のコントをしていた。当時流行していたネクラを扱ったものもあり、卓球台の前でラケットを握りながら「暗い物=太陽の黒点とか」を言い合うネタをしていた。
その他[編集]
- デビュー後、サンミュージックがお笑い部門を一時閉鎖した際、プロダクション人力舎に所属したことがあった。丁度スクールJCAが立ち上がった頃で、二人は講師を買って出た。講師としては、当時の若手であるアンジャッシュ、アンタッチャブルなどを育成し、今日の人力舎の隆盛の陰の立役者である。中でもダンディ坂野は付き人になり、サンミュージック復帰時に同行している。
- デビュー当初、所属事務所の太川陽介率いる野球チームに参加していたが、メンバーがある日足らなくなり、たけしの弟子入り前から知り合いだったダンカンにたけしの同輩弟子の参加を依頼。ぶっちゃあも当時行きつけの店の店員だったカージナルスの2人を誘って、神宮球場の早朝野球に参加したところ、ビートたけし本人が予告なしで登場。都立足立高校野球部出身のたけしも満足して、自前で草野球チームを立ち上げ、後のたけし軍団に繋がったとリッキーが回想している[1]。