黄瀬川の戦い
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黄瀬川の戦い(きせがわのたたかい)は、天正7年(1579年)9月から12月にかけて行なわれた武田勝頼軍と徳川家康・北条氏政同盟軍の合戦である。戦場は現在の静岡県沼津市・三島市[1]。
経歴[編集]
天正7年(1579年)9月、北条氏政は沼津から三島へ侵攻し、武田勝頼は黄瀬川まで進出して氏政を迎え撃った[1]。その間に勝頼の背後を襲うため、徳川家康が駿河まで進出して当目坂(焼津市)・持船(用宗・現在の静岡県駿河区)の2城を攻略し、さらに由比(由比町)や倉沢(菊川市)を焼き払った[1]。このため10月、勝頼は挟撃を恐れて江尻城に撤退する。家康は勝頼が自分の方へ向かってくるのを見て素早く浜松城まで撤退した[1]。12月、氏政は三島に出陣し、勝頼は迎撃のため伊豆口に布陣して、この戦いは決着のつかないまま勝頼が12月9日に甲府に帰還することで終わった[1]。