黄 射(こう しゃ、生没年不詳)は、中国の後漢末期の武将。劉表の家臣で章陵郡太守。父は黄祖。
黄祖の子で劉表に仕えた[1]。禰衡と親しかったので、禰衡がその毒舌で黄祖を怒らせて処刑される際、黄射は急いで処刑を止めるために駆けつけたが間に合わなかった[1]。206年、孫権配下の徐盛が守る柴桑県を攻撃したが大敗した[1]。以後は記録に黄射の名前は現れない[1]。
『三国志演義』には登場しない。