麹 演(きく えん、生没年不詳)は、中国の後漢末期の武将[1]。
涼州西平郡の出身[1]。西平郡の豪族で、215年に金城郡の蒋石と共に韓遂を討ち取ってその首を曹操に送った[1]。220年に曹操が死去すると反逆し、護羌校尉を自称したが蘇則の討伐を受けて降伏した[1]。しかしその後も張進や黄華と組んで涼州で反乱を起こすなどして、蘇則が張進を討伐しようとすると麹演は蘇則を謀殺することを目的に蘇則に味方したが、蘇則はそれを見破って逆に殺した[1]。
『三国志演義』には登場しない