鳥取藩主池田家墓所
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鳥取藩主池田家墓所(とっとりはんしゅいけだけぼしょ)は、鳥取県鳥取市国府町奥谷にある鳥取藩主家の池田氏の墓所である。国の史跡である。
概要[編集]
江戸時代を通じて、鳥取藩は池田氏が32万5000石で支配した。この墓所には初代藩主の光仲]]から第11代藩主の慶栄までの墓が存在する。以下は墓がある11人の藩主の名である(数は藩主の代数)。
鳥取藩池田家は12代であるが、最後の第12代藩主である慶徳の時に明治維新を迎えて東京に移っているため、彼だけは墓は東京に存在する。
国の史跡に選ばれるだけあって、藩祖の光仲の墓は参道両側に多数の石灯篭が立ち並ぶ中でもひと際大きく、大藩の墓所にふさわしいものである。また、墓地には桜や楓が植えられており、春の花見や秋の紅葉の眺めにも適している場所である。