鬼怒川温泉

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鬼怒川温泉(きぬがわおんせん)とは、栃木県日光市鬼怒川温泉大原にある温泉街である。

概要[編集]

関東地方屈指の温泉場であり、鬼怒川の渓谷沿いにホテル旅館が多く存在する。会津若松と今市・江戸を結んでいた会津西街道の沿線で、かつての大原宿付近となる。

鬼怒川温泉は江戸時代前期から中期に差し掛かる元禄4年(1691年)、この地の村人によって偶然発見された。ところが、村民と日光奉行との間で温泉の所有権をめぐる争いが発生し、60年ほどたった宝暦元年(1751年)に日光奉行は強権を発動して温泉を没収し、一般人の入浴を禁じるに至った。なお、当時は「滝の湯」「下滝温泉」などと呼ばれており、昭和2年(1927年)に東武日光線が新設された際に名も鬼怒川温泉と改名されたという。

当地の鬼怒川は岩盤のため川幅が狭くなって深い谷になっており、山が迫っている。ごく狭い川岸を利用して旅館街が形成されており、そのため旅館は5階か6階建てのものが多く、玄関を入ると地下4階の谷のほうに面して部屋があるなど、変化のある建て方になっているのが特徴的である。温泉街の中央部にあるくろがね橋から川の上、下流を眺めればそれがよくわかり、眼下には青みがかった岩の間を急流が渦巻いて流れている。

温泉街の見所として、遊ぶ場所が多く、猿と鹿を放し飼いにした野猿公苑、ダム建設関連資料を展示している川治ダム資料館などが存在し、4月中旬から11月中旬まで鬼怒川ライン下りも存在する。

泉質効能[編集]

  • 単純泉、34度から53度。
  • リューマチ、神経痛、神経炎、外傷、疲労回復、運動器障害など。

アクセス[編集]

廃墟[編集]

バブル崩壊や足利銀行の破産、リーマンショック、新型コロナウイルスなどで、多くのホテルや旅館が閉鎖に追い込まれてきた。 ここでは、廃業したホテルや旅館を紹介する。

鬼怒川第一ホテル[編集]

1980年開業(あさや支店としては1956年開業。利用者からすれば、名前が変わった認識。)、2008年11月30日に閉館。当時は、「鬼怒の八湯」が人気であった。第一ホテルの閉館時の社長は八木澤文仁であった[1][2]。なお、同系列の鬼怒川グリーンパレスは12月1日より伊藤園に運用譲渡されていたが、2015年12月1日より耐震工事・設備点検のため休館している。

きぬ川館本店[編集]

鬼怒川にある廃墟では一番有名である。こちらは1942年開業、1999年6月に30億円の負債を抱え破産した。2005年までは後述の星のや旅館のオーナーが管理していた上、休業扱いだった。末期は、夜逃げした経営陣に変わり、予約が入ってる宿泊客のために残された従業員が自転車操業状態で運営していた。「かっぱ風呂」が人気であった。

元湯 星のや[編集]

創業は、大正14年(1925年)と、鬼怒川温泉でも歴史ある老舗旅館だったが、2010年後半に閉館した。(一部では2011年後半に東日本大震災の風評被害で客足が遠退くのを見込み閉館したという情報もある。)鬼怒川では数少ない源泉掛け流しで、混浴露天風呂もあった。混浴露天風呂については、末期は営業していなかったらしい。星のや旅館は正確な閉館理由は不明だが、オーナーの高齢化などが予想される。なお、星のやについてはGoogleストリートビューでも確認出来る通り、車が止まっており、当時のオーナーが今でも住んでいる。また、厳重な機械警備も有る。YouTubeの探索動画では、通電も確認されている。

鬼怒川観光ホテル東館[編集]

2008年に廃業した。なお、鬼怒川観光ホテル自体は現役ホテルである。くろがね橋の目の前に位置する。

鬼怒川観光ホテル西館(安らぎ館)[編集]

2005年頃廃業、2007年中に解体。

復興御宿 富双江葉大馬 鬼怒川秘極の湯 風[編集]

2020年夏頃、新型コロナウイルスにより廃業したと思われるが、同じ復興御宿グループの他の旅館は2018年に閉館したところもあるため、元々経営が厳しかったと思われる。なお、建物は現在売りに出されている。

脚注[編集]

  1. 鬼怒川第一ホテル 閉館のご案内” (2008年12月1日). 2021年9月21日確認。
  2. 旅館業(栃木)/(有)あさやグリーンパレス 他1社” (2009年2月17日). 2021年10月8日確認。

外部リンク[編集]