高田 孫右衛門(たかだ まごえもん、生没年不詳)は、戦国時代の武将。織田氏・神戸氏の家臣。神戸四百八十人衆の一人[1]。
織田信長に仕え、その命令で元亀2年(1571年)1月に高岡城主の山路種常を抹殺して所領安堵を受ける[1]。その後、信長の命令で神戸氏に養子入りした神戸信孝に仕えた(『勢州軍記』)。