馬 休(ば きゅう、? - 212年5月)は、中国の後漢末期の武将。父は馬騰。兄は馬超。弟に馬鉄[1]。
208年に父や弟と共に後漢王朝に出仕し、奉車都尉に任命されて鄴に住んだ[1]。211年に兄の馬超が曹操に対して反乱を起こしたため、212年5月に連座として父や弟ら一族と共に処刑された[1]。
『三国志演義』では馬騰の次男とされ、父や弟と共に曹操の召し出しを受けて出仕するが、父が曹操暗殺計画を企んで露見し、父と共に奮戦して曹操軍から突破しようとしたがかなわず捕縛され、父と共に処刑された。
参考文献[編集]