陰 化(いん か、生没年不詳)は、中国の三国時代の蜀の政治家[1]。
蜀の官吏で、219年に黄色の龍が見えるなど益州で様々な瑞兆が出ると、それを「劉氏への瑞兆だ」と言い切って「黄龍甘露碑」を建てて周囲に広めた[2]。
使者として孫権の下に訪れたが役目を果たせなかった[1]。後に鄧芝が孫権の下に使者として送られて役目を果たし孫権からも気に入られて、孫権が諸葛亮に手紙を送った際に鄧芝を大いに賞賛する一方で「陰化は尽くさず(意を伝え切れなかった)」と引き合いに出したという[1]。
- ↑ a b c 中国の思想刊行委員会『三国志全人名事典』徳間書店、1994年、8頁
- ↑ 渡邊『ビジュアル三国志3000人』P257
参考文献[編集]