野尻城 (信濃国)
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野尻城(のじりじょう)とは、長野県上水内郡信濃町野尻246にかつて存在した日本の城である。別名を野尻新城(のじりしんじょう)、琵琶島城(びわしまじょう)という。越後国内にあった琵琶島城とは違うので注意が必要である。
概要[編集]
野尻湖の北東岸、城ヶ入の小高い丘の上に存在した山城である。築城年代については不詳だが、南北朝時代の可能性がある。
永禄年間になると、信濃国に勢力を拡大した武田信玄と、その信玄に追われた信濃国衆を助けて信濃に出兵する越後国の上杉謙信との間で川中島の戦いが繰り返されたが、この野尻城は謙信が信玄の越後侵攻を食い止めるための防衛線を成す城であった。
この城で激戦が繰り広げられたのは永禄7年(1564年)。といっても、信玄と謙信の書状しか確認できる史料が無いのをお断りしておく。同年4月20日付の書状で信玄は会津の蘆名盛氏の重臣・鴨浦左衛門入道に宛てて「野尻城を去る日に落として、城主以下兵士を討ち取り、さらに越後に乱入した」とある。そして5月7日付の上杉謙信(当時は上杉輝虎)が重臣の色部勝長に宛てた書状では、「野尻島を乗っ取っていた敵をすぐさま討ち取って城を奪い返した」とある。このため、信玄に野尻城を奪われはしたが、謙信はすぐに反撃して取り戻したらしい。なお、同年には最後の川中島の戦いも発生している。
現在、城跡は土塁・郭・掘割跡などが残されており、恐らく大手門跡であろうと推定されている遺構なども見ることができるようになっている。