里見梅王丸(さとみ うめおうまる/ばいおうまる)とは、戦国時代から江戸時代にかけての武将。
生年不明。しかし、天正年間には生まれているとされる。尚、梅王丸というのは幼名。父・里見義弘と共に佐貫城で暮らすが、後継者争いで里見義頼と対立し、1580年に佐貫城を落とされる。その後義頼が安房岡本城に幽閉した。義頼死後は里見義康が当主となり、梅王丸は出家して淳泰と名乗った。伝承によれば、1622年に死去したとされる。