通学帽

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黄色い通学帽(きいろいつうがくぼう)は、小学生たちを交通事故から守るため多くの小学校で登下校時に着用するよう校則で指定されている帽子である。赤いランドセルと並ぶ女子小学生を象徴するアイコンである

時は2003年、当時94歳だった坂下敏郎に会った人物がいる・・・って、それ誰やねん、というのが一般的な反応だろう。無理もない。坂下は和歌山県警に在職中、あの黄色い通学帽を発案し、普及に努めた人物であるが、初版立項者も最近まで知らなかった。当時和歌山県は、シートベルトの着用率が全国ワースト2位という憂慮すべき状態にあった。県警交通企画課では、西川敏秋に命じて着用率を引き上げようと対策を講じるが、それほどの成果はなかった。見かねた西川の上司の一人が、県警の大先輩にあたる坂下に会ってこないかと勧めた[1]

黄色い通学帽が生まれたのは昭和30年代のことである[2]映画館で西部劇を観賞していた坂下は、あることに気づく。はるか遠くにいるカウボーイ、しかし一目でカウボーイだと分かる。彼らがオレンジ色の帽子をかぶっていたからだが、翌日より坂下のプロジェクトXが始動する。脳内BGMは『地上の星』でお願いします。和歌山市内の幼稚園に協力を仰ぎ、子供たちに各種の色の帽子をかぶってもらい300メートルの距離から[3]視認性を検証した。さらに天候ごと・時間帯ごとの視認性を比較し、約2年で黄色い通学帽を完成させた。かかわった子供は1万人以上にのぼった[4]

満を持して1960年4月、和歌山西警察署では全国に先駆けて児童や園児に対し、黄色い通学帽の着用を呼びかけた。和歌山市教育委員会や父母らの協力もあって、彼らは次第に黄色い通学帽を着用するようになった。視認性に優れた黄色い通学帽は、県内はもとより全国各地に広まった[2]

1962年7月1日(国民安全の日)、坂下の交通安全の向上発展の功績に対し、池田勇人首相は表彰状を授与した[5][2]

なお、坂下はこの業績について特許を取得しなかった。破格の条件を提示して坂下をスカウトしたおはようございますの帽子屋さんもあったが、首を縦に振ることはなく定年まで県警を務めあげた[6]

さて、『ヘッドライト・テールライト』のご用意はよろしいでしょうか。時は流れて2023年4月、県警の資料展示室が和歌山市西の交通センター内に移転し、予約制で公開を開始した。そこにはもちろん坂下の功績に関する資料も展示されている。資料展示室はもともと、治安維持に尽くした県警関係者の功績を伝えるため、和歌山市木ノ本の警察学校内に1990年に設置されたものだが、当時は警察職員向けで一般公開はなかった[5]

余談であるが、西川は在任中の3年間で県のシートベルト着用率を目標(全国平均)まで引き上げた[7]

出典[編集]

  1. 西川 2024, p. 82-83.
  2. a b c 和歌山 NEWS WEB 2023.
  3. NHK「チコちゃんに叱られる!」制作班 (2023年12月22日) (電子書籍). 答えられないと叱られる!? チコちゃんのもっと素朴なギモン. 宝島社.. p. 34 
  4. 西川 2024, p. 84-85.
  5. a b 村越 2023.
  6. 西川 2024, p. 85.
  7. 西川 2024, p. 86.

参考文献[編集]

関連文献[編集]

  • 西川敏秋「「黄色い帽子」を生んだ交通警察官の願い」、『致知』第570号、致知出版社、2022年12月1日、 79-81頁、 ISSN 0288-7282NDL00039232 - 上記『抜萃のつゞり』に掲載された文の初出