辺 章(へん しょう、生没年不詳)は、中国の後漢末期の武将。別名を辺 允(へん いん)[1]。
涼州金城郡の出身[1]。西方諸県で名を轟かせ、韓遂や北宮伯玉、宋揚らと共に後漢王朝に対して反乱を起こした[1]。辺章は西方の異民族に慕われていた事から反乱軍の盟主に擁立され、郡の刺史や太守を討って名を挙げ、さらに10万余の軍勢で後漢軍を苦しめたが、その戦いの最中に病死した[1]。『後漢書』では韓遂による殺害とされている。