北宮 伯玉(ほっきゅう はくぎょく、生没年不詳)は、中国の後漢末期の武将。別名を北宮 玉(ほっきゅう ぎょく)[1]。
184年の黄巾の乱の最中に涼州で宋揚らと共に反乱を起こし、韓遂や辺章らを盟主として擁立した[1]。しかし反乱は失敗する[1]。
『後漢書』では韓遂と不仲になり、辺章らと共に韓遂により殺害とされたとしている。