跡部 重政(あとべ しげまさ、? - 天正3年5月21日(1575年6月29日))は、戦国時代の武将。甲斐武田家の家臣。
仮名は九郎三郎。官途は右衛門尉。諱は正秀とも伝わる。父は横田下野守といわれ、妻が跡部泰忠の娘と言われているので、婚姻して跡部に改姓した可能性が高い。武田家のむかで衆として使番を務めた。
天正3年(1575年)5月21日、長篠の戦いで戦死した。法名は跡昌。