趙 融(ちょう ゆう、生没年不詳)は、中国の後漢末期の武将。
後漢の霊帝の時代に助軍校尉に任命された西園八校尉の一人である[1]。北海郡の鄭玄を招聘しておきながら冷遇しなかった袁紹を大事をなす人物ではないと批判したという[1]。