趙昱
ナビゲーションに移動
検索に移動
趙 昱(ちょう いく、? - 193年)は、中国の後漢末期の武将。字は元達(げんたつ)。陶謙の家臣で広陵郡太守[1]。
生涯[編集]
瑯邪国の出身[1]。張昭や王朗らと親交があり、州や郡から何度も仕官の誘いを受けるが病気と称して出仕しなかった[1]。しかし陶謙に脅迫されて半ば強引に仕官させられた[1]。陶謙が張昭を茂才に推挙した際、張昭は応じなかったので拘禁されたが、趙昱が陶謙を諌めて助け出した[1]。193年に曹操が徐州を攻めた際、笮融が逃れてきたので趙昱は丁重に迎え入れたが、笮融は趙昱の資産に目がくらみ、宴席において殺害するに至った[1]。
陶謙が趙昱のような名士を遠ざけて曹宏のような小人物を重用した事を史書は批判している[1]。
『三国志演義』には登場しない。