貝渕陣屋
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貝渕陣屋(かいふちじんや)とは、現在の千葉県木更津市貝淵にかつて存在した陣屋である。
概要[編集]
江戸幕府の第11代征夷大将軍・徳川家斉の御側御用取次役として権勢を振るった林忠英は、家斉から上総国望陀郡・市原郡・周准郡、上野国、常陸国などにおいて7000石を与えられた。文政8年(1825年)4月には若年寄に任命されて3000石を加増され、合計1万石で大名に昇格した。さらに天保10年(1839年)、大御所となっていた家斉から5000石を加増され、それをもって望陀郡貝渕に陣屋を築き、ここを貝渕藩の藩庁と定めた。
しかし天保12年(1841年)に家斉が死去すると、忠英は水野忠邦の粛清を受けて失脚した。後継者となった林忠旭は嘉永3年(1850年)に陣屋を望陀郡請西村真武根に移したので、貝渕藩は廃藩となった。その後、貝渕には駿河国小島藩から瀧脇松平家が入り、桜井陣屋が置かれた。
現在、遺構として土塁のみが残されている。