西武新宿線第3事件

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西武新宿線第3事件
Seibu-2081F.JPG
西武新宿線
日付2003年10月22日[1]
概要痴漢冤罪
原因被害者による犯人の取り違い
損害誤認逮捕
犯人不明
容疑わいせつ行為(後に誤認と判明)
対処逮捕・起訴(後に誤認と判明)
謝罪なし
賠償なし
刑事訴訟当初の判決:懲役1年6か月(執行猶予3年)
後の判決:無罪判決(原判決を破棄)

西武新宿線第3事件(せいぶしんじゅくせんだい3じけん)は、2003年10月22日に西武新宿線で起きた痴漢冤罪事件。

乗車から逮捕まで[編集]

2003年10月22日午前8時10分、西武新宿線沼袋駅から私服サラリーマンA(白いトレーナー、ジーパン、左手に腕時計を着用)が上り電車に乗車した。Aは他の乗客の迷惑にならぬよう、背負っていたリュックを降ろして右手で持ち、傘を左手で持った。

Aは乗車から約5分後、左足と太腿あたりに何かが当たる感じがし、振り返ると外国人風の男性が立っていた。

電車が高田馬場駅に到着し、降車すると、同じ電車でAの左前に立っていた茶髪の女子高生BがAのトレーナーを掴み、「痴漢!てめえ触っただろ!」と怒鳴った。駅員が駆けつけ、2人に駅員室に移動するよう促すと、Aは「やっていないのだから」と駅員室に同行し、駅員室で「外国人風の男が真犯人ではないか」と主張したが聞き入れてもらえず、警察を呼ばれた。法律上、AはBにトレーナーを掴まれた時点でBに現行犯逮捕私人逮捕)されていたため、警視庁戸塚警察署へ連行された[2]

捜査[編集]

Aは取り調べでも無実を主張したが、一切聞き入れられず、留置場へ入れられた。

Aは普段、電車の遅延などで1分でも会社に遅刻する場合は必ず連絡を入れていたため、午前9時過ぎ、連絡がないことを心配したAの上司がAに電話を入れ、Aが痴漢に間違われていることを知った。上司はすぐに「仕事熱心で家族想いのAが痴漢などするはずがない」と思い、東京法律事務所の弁護士Cに連絡を取り、Cは最初の接見で「Aは痴漢などしていない」と感じたという。Cは戸塚署の待合室で待っていたAの妻D被疑者と逮捕当日に面会できるのは弁護士だけ)にAの言葉に嘘はないと思うことを伝えると、Dは胸を撫で下ろした。

Cは戸塚署や東京地方裁判所に、Aの早期釈放を求める意見書を提出した(当時は痴漢の被疑者は、容疑を否認すると長期間拘束されることが多く、会社員の場合、10日間以上拘留されると解雇されることも多かった)が認められず、Aは逮捕翌日、東京地方検察庁へ送検された。

東京地検はBから事情聴取した結果、

  • Bは意図的に嘘をついていない。
  • BはAの左手を被害直後に掴んだ。

の2点に確信を持ち、Aを東京地方裁判所に起訴し、Aは東京拘置所へ移送された[2]

裁判[編集]

第一審[編集]

逮捕から56日後、初公判が開かれ、Aは無実を主張した。

初公判から約2ヶ月後に行われた第二回公判では、Bに対する尋問が行われた。Bの心情を考慮し、法廷には衝立が設置され、Aと傍聴席からはBの姿が見えないようになっていた。Bは検察側の尋問に対し、「被害当時、右後ろにA、左後ろに女性が立っていたため、Aが犯人だろうと思った。Aの手を掴んだが、振り払われた」と証言した。続いて、弁護側の尋問が行われ、Cが「手を掴んだ時何が見えたか」と質問すると、Bは「白いトレーナーと手が見えた。時計は確認しなかった」と証言した。外国人風男性に関する質問に対しては、「外国人風男性では手が届かないと思う」と証言し、その理由について「再現実験でも届かなかったと聞いた」と証言した。この再現実験のことは裁判が始まるまで弁護側に知らされていなかった。再現実験では、Bと外国人風男性の距離が何cmだったかなどの詳細が全く反映されておらず、また、A役の警察官と女性役の警察官の腰に拳銃と警棒が付けられたままになっており、外国人風男性役の警察官の手が入る隙間がなくなっていた。にもかかわらず、捜査主任の警部補がBに「これじゃ届かないよね」と言った。

第二回公判終了直後、Aは200万円の保釈金を納め保釈された。Aの拘束は105日に及んだ。この間、Aの長男はAと離れていたためAに懐かなくなっていた。

CはAの証言通りに再現ビデオを作成していると、肩が密着した状態のAと女性の腰辺りに隙間ができていたこと、その隙間を外国人風男性の手が通り、Bの下半身に十分届くこと、その際に男性の手がAの腰や太腿などに触れることが判明した。この再現ビデオの上映は、事件から約8ヶ月後の公判で行われた。この公判では警部補の証人尋問も行われ、Cはまず「Aが逮捕時に着用していた腕時計のことを覚えているか」と質問した。Aが着用していた腕時計は斬新なデザインでかなり大きいスポーツタイプのもので、一目見れば記憶に残りそうなものだったが、警部補は「覚えていない」の一点張りだった。更に、Cは警部補が取り調べ室に入っていきなりAに「お前、下着の中にまで手を入れたんだってな!」と怒鳴ったことに言及し、警部補にAの手の付着物を調べたか否かを問い詰めた(Aが痴漢行為をしていた場合、Aの手からBが着用していた衣服の繊維が検出される)。すると警部補は「忘れていました」と証言し、傍聴席から怒号が飛んだ。

裁判は事件から1年が過ぎようとしていた頃、裁判が結審した。判決は約1ヶ月半後に言い渡されることとなった。

判決公判の12日前、Dはに「私の命と引き換えにAの無実を証明して」と願い、リストカット自殺を試みたが、傷は浅く、命に別状はなかった。

判決公判当日、Dは体調を考慮し、自宅でAの吉報を待った。が、Aは執行猶予付きの有罪判決を受けた。Aは「控訴したら職場復帰のめども立たず、裁判費用もかかる。これ以上家族に迷惑をかけるわけにはいかない」として判決を受け入れることを決め、Dに報告した。しかしDは「絶対に無罪を勝ち取らなきゃ私が許さない」と言い、Aは迷わずに東京高等裁判所に控訴した[2]

控訴審[編集]

Cは第一審でのBの「犯人の手を掴んだ時、時計は確認しなかった」という証言に焦点を当て、有罪判決から約半年後に開かれた初公判で、Aが逮捕された時に着用していた腕時計を着用し、裁判官に手を掴んでもらった。

初公判から5ヶ月後(事件から2年以上)に開かれた公判では再びBの証人尋問が行われた。Bは高校を卒業し、専門学校生になっていた。CはBにも手を掴んでもらった他、BにAが毎日付けていた長男の成長記録を読んでもらった。手帳を読んだBは「こういう人が痴漢をするとは思えない」と証言した。

2006年3月、事件から868日経った日、Aは逆転無罪を勝ち取った。この日、傍聴席にはAの親族、同僚、友人、Dが着席していた[2]

その後[編集]

Aは職場に復帰し、事件から10年経った2013年、フジテレビ系列の『奇跡体験!アンビリバボー』の取材に応じた。この時、事件当時幼かった長男は事件のことをまだ知っておらず、「もう少し大きくなったらちゃんと話したい」と考え、顔を隠した[2]

脚注[編集]

  1. 小澤実 『左手の証明 - 記者が追いかけた痴漢冤罪事件868日の真実』 ナナ・コーポレート・コミュニケーション〈Nanaブックス 0060〉、2007年、307頁。ISBN 978-4901491662
  2. a b c d e 痴漢えん罪事件壮絶記録868日”. 奇跡体験!アンビリバボー. 2019年6月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月16日確認。

関連項目[編集]