西内喜兵衛
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西内 喜兵衛(にしうち きへえ、生没年不詳)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。長宗我部氏、あるいは香宗我部氏の家臣。
略歴[編集]
曾祖父は山田氏に仕えた土佐国鳥森城主の西内常陸。父は西内左近[1]。
長宗我部元親、あるいはその弟の香宗我部親泰に仕えて、武勇で知られたという。安芸氏を滅ぼした後、安芸城主になった親泰はあまり居城に在城しなかったため、事実上の留守居や政務は西内が担当したという。天正2年(1574年)7月、元親が安芸郡の野根城を攻撃した際、敵将の惟宗国長の油断に乗じて城を乗っ取る功績を立て、元親から武勲を称された。翌年に元親が土佐を統一すると、長岡郡本山城の在番を任された[1]。