裸の島

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裸の島』(はだかのしま,英語The Naked Island)は、1960年昭和35年)に公開され日本映画である。モスクワ国際映画祭グランプリを受賞した。リアリティーあふれる画面は好評を博し、世界60か国以上で公開された名作である。公開時はキネマ旬報ベストテン6位であった。

新藤兼人の名を世界的に知らしめた映画である。新藤兼人はほとんどセリフのない映画を作りたかったと語る[1]。全編セリフのない映画、撮影期間1ヶ月、キャスト4人、当初十三人のスタッフ(監督1名、カメラマン・助手計3名、助監督2名、製作2名、照明3名、スクリプター1名)、予算500万円で作られた。当時でも映画を撮るために必要な資金は一般的に5000万円程度が必要であった。スタッフたちは民家を借り、自炊生活をしながらの撮影であった。新藤兼人監督は2003年に、同島がある三原市の名誉市民になっている[2]

あらすじ[編集]

太平洋戦争の敗戦から10年、昭和30年(1955年)代前半の日本で財産はない極貧の家族4人が生きるために必死で生活する無言で働く小作農夫婦を描いた。瀬戸内海の孤島(宿禰島)を舞台にドキュメンタリー風に描いた。その島に中年の夫婦と男の子2人が生活している。孤島の土地はやせていても、全島にわたり頂上に至るまで耕されている。にはまとまった水がないため、畑の水や飲む水を向かいの島から小船で運ぶ。桶に入れて櫓漕ぎ舟で運んだ水を、島の急斜面を天秤棒で担いで運び上げる。夫婦日常の大半は、この水を運ぶ労力に費いやされている。

下の子次郎は未就学で、上の太郎は小学校の2年生。別の島の学校まで船で通っている。暑い日の午後、突然太郎が発病した。孤島へ医者が駈けつけた時には、太郎はすでに死んでいた。葬式僧侶通学先の担任の先生と同級生が来て、遺体は島に埋葬された。葬式が終ると、再び夫婦は水を運ぶ。突然、妻は畑に腹ばいになり顔を畑地に擦りつけて号泣する。夫は、妻の心痛を理解できるので、だまって見つめるだけであった。明日もまた、夫婦は自然とたたかい続ける。

作品データ[編集]

  • 公開日 - 1960年(昭和35年)11月23日
  • 制作会社 - 近代映画協会
  • 製作国 - 日本
  • 上映時間 - 96分
  • モノクロ作品
  • アスペクト比 - 2.35 : 1

受賞[編集]

  • 第11回ブルーリボン賞 企画賞(新藤兼人)
  • モスクワ国際映画祭 グランプリ、
  • モスクワ国際映画祭作曲賞(林光)
  • メルボルン国際映画祭グランプリ
  • 第16回英国アカデミー賞総合作品賞ノミネート(1963年) 16th British Academy Film Awards
  • マンハイム映画祭グランプリ
  • リスボン映画祭銀賞
  • ベルリン国際映画祭セルズニック銀賞
  • エディンバラ国際映画祭銀賞

ランキング[編集]

  • キネマ旬報ベスト・テン 第6位
  • 「オールタイムベスト・ベスト100」日本映画編 1995(キネマ旬報) 第29位
  • 「オールタイムベスト・ベスト100」日本映画編 1999(キネマ旬報) 第67位

キャスト[編集]

スタッフ[編集]

参考文献[編集]

  1. 新藤兼人(2012)『100歳の流儀』PHP出版,ISBN 978-4-569-80434-7
  2. 日刊スポーツ 2012年6月1日