蘆名隆氏
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蘆名 隆氏(あしな たかうじ、天正12年9月18日(1584年10月21日) - 天正14年2月23日(1586年4月11日))は、戦国時代の人物。会津蘆名氏の第19代当主。父は蘆名氏の第18代当主・蘆名盛隆。幼名は亀王丸(かめおうまる)で、史料では蘆名 亀王丸と記される事も多い。
生涯[編集]
盛隆の子で、父が生後18日後の10月6日に家臣の大庭三左衛門に暗殺されたため、生後1か月に満たない亀王丸が急遽、第19代当主に擁立された。この際に父の「隆」と形の上では祖父にあたる第16代当主・盛氏の「氏」をとって隆氏と名乗ったという。
しかし当主になってからわずか2年後に3歳で夭折した。当然、実子がいるはずもなく、後継者をめぐって伊達政宗の同母弟・小次郎か佐竹義重の次男・義広を立てるかで家臣団が分裂し、蘆名家滅亡の遠因になった。
法名は霜清院殿空顔幼公大童子。