藤岡康太

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藤岡 康太
基本情報
国籍日本国旗.png日本
出身地滋賀県
生年月日1988年12月19日
死没2024年4月10日(満35歳没)
身長169cm
体重50kg
血液型AB型
騎手情報
所属団体日本中央競馬会
所属厩舎宮徹(2007年3月1日 - 2013年2月26日)
フリー(2013年2月27日 - 2024年4月10日)
初免許年2007年
免許区分平地
騎手引退日2024年4月10日(死亡)
重賞勝利25勝

藤岡 康太 (ふじおか こうた、1988年12月19日 - 2024年4月10日) は日本中央競馬会 (JRA)に所属していた元騎手である。

概要[編集]

父は調教師藤岡健一、兄は同じく騎手の藤岡佑介。兄の影響で乗馬を始め、父の影響で騎手を志す。2004年に日本中央競馬会競馬学校に入学し、2007年3月に騎手デビューを果たす。3月3日の3歳未勝利戦で父の管理するヤマニンプロローグに騎乗してデビューし、初勝利を飾る。初騎乗・初勝利を果たした騎手はJRA史上42人目。

2009年にはジョーカプチーノファルコンステークスNHKマイルカップの両競走を制し、重賞・G1級初勝利を達成。兄の祐介よりも早いG1級初勝利となった。なおジョーカプチーノのNHKマイルカップ前の最終追い切りに遅刻してしまい、雨の中でスタッフを待たせてしまった。管理する中竹和也師は冗談半分に「結果を出せば許してくれるよ」と諭したが、その通りに結果を出した。

2020年に結婚。2023年6月に第一子が誕生している。

2024年4月6日、阪神第7レース4歳以上1勝クラスでスウィートスカーに騎乗中、第3コーナーで馬がつまずき、落馬。病院に搬送されたが搬送時点で意識不明であり、いつ息を引き取ってもおかしくない状況であった。その後も意識は戻らず、10日夜に35歳という若さで妻と幼い子供を遺してこの世を去った。中央競馬における落馬による殉死は2004年3月28日の落馬事故で4月2日にこの世を去った竹本貴志以来の出来事となり、直近では高知競馬場でも落馬事故によって塚本雄大が殉死しており、多くの騎手・競馬ファンが悲しみに暮れた。
死去後最初の中央競馬開催日となった13日は各開催競馬場で第1レース発走前に黙祷が捧げられた。この日は中山グランドジャンプの開催日でもあり、同レースで勝利したイロゴトシに騎乗していた黒岩悠は勝利を確信したゴール手前50m地点で「康太!勝ったぞ!」と叫び、涙を誘った。

ももいろクローバーZの大ファンで、特に佐々木彩夏推し。藤岡の死去後、佐々木による追悼メッセージがももいろクローバーZ公式HPに掲載されている。

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