葛山安信
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葛山 安信(かつらやま やすのぶ)は、安土桃山時代から江戸時代にかけての武士。葛山信貞の子。生没年不明。四郎六郎。のちに近山久家と改名。
生涯[編集]
生誕の年月日・場所すら不明で、非常にわかることが少ない人物だが、『寛政重修諸家譜』第百八十二巻の近山氏の箇所に、近山氏の家伝が記されている。それによると、武田滅亡・信貞処刑の時、16歳になる安信は山林に逃れ、後に徳川家康に仕えた。
安信の子久次も江戸幕府に仕え、1584年(天正19年)より八王子に住んでいる。久次から子の永吉更にその子正友まで三代が八王子の本立寺を菩提寺としていて、代官を務めている。その後しばらくして子孫は信濃国に移り中野で陣屋を営みながら武士の地位を維持したが詳細は不明。