茂別館跡
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茂別館跡(もべつたてあと)は、北海道北斗市矢不来138にある安東氏の館跡。
概要[編集]
室町時代中期の15世紀半ばに築かれた道南12館の1つで、嘉吉3年(1443年)に津軽十三湊にあった津軽の豪族・安東盛季が南部義政に攻められてこの地に移り、館を建設したのが起源と言われている。その後、安東家は十三湊に拠点を置く下ノ国安東家、秋田湊の領主である上ノ国安東家に分かれるが、茂別館の安東家は前者のほうである。
康正2年(1456年)、安東家は本州に帰還し、能代川流域の桧山を支配した。そのため館には主がいなくなり、安東家の家臣団が支配することになった。ところが翌年の長禄元年(1457年)、コシャマインの乱が発生し、それにより蝦夷地にある館の大半は落とされてしまい、落城を免れたのは花沢館そしてこの茂別館だけであった。
館は茂辺地川左岸の崖地を利用して区切られており、大館と小館からなり三方に土塁があったようで、なかなかの堅城であり、反乱の際に落とされなかったのはこのためだろうか。現在では国から史跡に指定されている。