臼井本覚の墓

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臼井本覚の墓(うすいほんかくのはか)とは、現在の鳥取県鳥取市栗谷に存在する臼井本覚の墓である。

概要[編集]

臼井本覚とは名を正武、通称を十太夫といい、怪力無双で知られた豪傑であった。伊庭氏の出自であったが、池田輝政に仕えて臼井氏の養子となる。輝政の没後、その子の忠継に仕えて備前岡山藩に移り、大坂の役に参加して武功を挙げ、さらに江戸幕府による大坂城修築においては岡山藩の普請奉行として参加したが、この際に桜門の石垣積みで怪力振りを発揮して多くの人々を驚嘆させたという。寛永6年(1629年)に長年の功績を賞されて鉄砲頭に任命され、禄高は1000石となる。池田忠雄に仕えていた際に主命により村山越中守備中において上意討ちし、幕法違反であるとして危うく処罰されかけたが難を逃れている。その後、鳥取藩に招聘され、承応2年(1653年)に77歳で死去している。

現在の墓は、興善寺本堂の左手に存在する。

アクセス[編集]