毛 炅(もう けい、? - 271年)は、中国の西晋の武将。
益州犍為郡の出身[1]。268年に呉を攻めて劉俊と脩則を殺して交州を奪った[1]。しかし271年に呉軍の反攻を受けて交州は奪回され、毛炅は脩則の遺児・脩允により腹を切り裂かれて殺害された[1]。