禄高
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禄高(ろくだか)とは、現在で言うところの給与のことである。俸禄(ほうろく)ともいう。織田政権末期から明治時代初期まで禄高は米の石数によって表された[1]。
概要[編集]
織田政権末期から石高制への移行が始まり、豊臣政権時代に行われた太閤検地により石高制へ本格的に移行したことにより、禄高はそれまでの「貫」「文」から「石」で表されるようになった。つまり、米の総量で表されるようになったのである[1]。
例えば、10万石の藩主がいたなら、そのまま10万石が収入なのかというとそうではない。10万石とはあくまで「その所領から取れる米の総石高」であり、実収入はその4割から5割、つまり4万石から5万石であった。つまり、半分ないしその近くは、農民の生活費になるわけである[1]。
禄高は江戸時代、石高のほかに米の俵の数で表されることもあった。この場合、1俵は4斗が基本であった。よくいわれる1人扶持とは、「1日に玄米で5合支給」が基本であり、つまり1年間では1石8斗が支給されることになる。禄高は大抵、玄米支給だった[1]。
ただし、役目に就いた場合などはその役目に応じて支給される職禄、役高があり、支給方法や換金方法なども江戸幕府や諸藩によって異なることが多かった[1]。
200石取りの武士を1騎といい、100石取りの武士を槍一筋といった。なお、これらはその100石や200石で自分の生活費だけでなく、家臣や中間を雇い入れる義務も負っていた[1]。