神山健吉
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神山 健吉(かみやま けんきち、1930年 - 2023年9月[1])は、埼玉県志木市の郷土史家。
東京・上野桜木町生まれ[2]。戦時中に母の生まれ故郷だった現在の志木市に移住[3]。1955年東京教育大学文学部卒、読売新聞社入社[2]。1977年時点で東京読売巨人軍広告部長[4]。1985年読売新聞社定年退職。その後、出版社、編集プロダクション、広告代理店等に勤務[2]。この間、1972年志木市郷土史研究会の発足に参加(初代会長・井下田四郎)[3][5]。志木市郷土史研究会幹事、1978年刊行の志木市郷土誌編纂調査委員[4]。1979年志木市文化財保護委員[6]、志木市史編集委員(近世担当)[7]。1980年志木市史編さん委員会委員[8]。1986年4月から2012年3月まで志木市文化財保護委員会委員長[9][6](2005年より志木市文化財保護審議会会長)[10][11]。
埼玉県志木市遺跡調査会理事[12][13]、志木市郷土史研究会会長、埼玉県郷土文化会副会長、埼玉県文化財保護協会理事、志木いろは市民大学学長、よみうり文化センター川越講師、ブルガリアの人と自然と文化を愛する会会長[2]、スマイルよみうり編集長等を歴任[14]。「スマイルよみうり」創刊号から14年間に渡って連載した「地名百科」を『埼玉の地名 新座・志木・朝霞・和光編』(さきたま出版会、2013年)として刊行。また同紙に4年に渡って連載した「四市の伝説」を『埼玉の伝説を歩く 志木・朝霞・新座・和光編』(さきたま出版会、2018年)として刊行した。
著書[編集]
- 『苗字の研究――志木を中心として』(神山健吉、1969年)
- 『埼玉県の民話と伝説 入間編』(栗原仲道、小山誠三共編、有峰書店、1977年)
- 『しきふるさと史話』(井上國夫、高橋長次共著、志木市教育委員会、1994年)
- 『埼玉の地名 新座・志木・朝霞・和光編』(さきたま出版会、2013年)
- 『武蔵の商都「引又」の栄光――新河岸川舟運を最大に享受』(まつやま書房、2017年)
- 『埼玉の伝説を歩く 志木・朝霞・新座・和光編』(さきたま出版会、2018年)
出典[編集]
- ↑ 議案調査日 県立高の共学化求め勧告についてなど 故神山健吉様のお通夜に参列 埼玉県議会議員 鈴木 正人のブログ、2023年9月27日
- ↑ a b c d 引又の栄光 まつやま書房
- ↑ a b 「埼玉県の167の地名、由来を解説 志木市の神山さん」『読売新聞』2013年
- ↑ a b 栗原仲道、小山誠三、神山健吉編『埼玉県の民話と伝説 入間編』有峰書店、1977年
- ↑ 井下田四郎『引又河岸の三百年』井下田慶一郎、1974年
- ↑ a b 『志木市の文化財 第53集 城山遺跡第64地点 埋蔵文化財発掘調査報告書』志木市教育委員会、2013年
- ↑ 志木市総務部市史編さん室編『志木市史調査報告書 志木風土記 第1集』志木市、1980年
- ↑ 志木市総務部市史編さん室編『志木市史調査報告書 志木風土記 第2集』志木市、1981年
- ↑ 『志木市遺跡調査会調査報告 第4集 城山遺跡発掘調査報告書』埼玉県志木市遺跡調査会、1988年
- ↑ 『志木市遺跡調査会調査報告 第8集 西原大塚遺跡第111地点 埋蔵文化財発掘調査報告書』埼玉県志木市遺跡調査会、2005年
- ↑ 『志木市遺跡調査会調査報告 第9集 西原大塚遺跡第110地点 埋蔵文化財発掘調査報告書』埼玉県志木市遺跡調査会、2005年
- ↑ 『志木市遺跡調査会調査報告 第1集 西原大塚遺跡第3地点・中野遺跡第2地点発掘調査報告書』志木市遺跡調査会、1985年
- ↑ 『志木市遺跡調査会調査報告 第17集 城山遺跡第58・60地点 埋蔵文化財発掘調査報告書』埼玉県志木市遺跡調査会、2008年
- ↑ スマイルよみうりの特長 スマイルよみうり