栗原仲道
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栗原 仲道(くりはら ちゅうどう、1921年11月[1] - )は、郷土史家。別名は武州散史[2]、栗原胡秋。
埼玉県狭山市生まれ。1939年満州に渡り、新京に在住、満洲国国務院に勤務。1946年8月引揚げ。1948~1982年東京都に勤務[1]。所沢市文化財保護委員、所沢市史編集委員[3]、奥武蔵研究会委員、埼玉県郷土文化会理事、真言宗豊山派忠栄寺(埼玉県坂戸市)住職、同派常任布教師[4]、のち真言宗豊山派大福寺(埼玉県川島町)住職を兼任。後北条氏研究会・練馬郷土史研究会・奥武蔵研究会・山村民俗の会会員[5]。1985年時点で大福寺住職、所沢市史編集委員、東国戦国史研究会、練馬郷土史研究会[6]。1987年時点で真言宗豊山派埼玉三号大福寺住職、本山特派布教師、埼玉三号教区長、埼玉県布教師会副会長、埼玉三号布教師会長。所沢市文化財保護委員、所沢市史編集委員、埼玉県郷土文化会常任理事、練馬郷土史研究会員[7]。論文に「武蔵藤田氏の研究(1~5)」(『埼玉史談』埼玉県郷土文化会、1979-1983年/黒田基樹・浅倉直美編『論集 戦国大名と国衆② 北条氏邦と武蔵藤田氏』岩田書院、2010年)、「武蔵野の修験道」(五来重編『山岳宗教史研究叢書(14)修験道の美術・芸能・文学(Ⅰ)』名著出版、1980年)などがある。
著書[編集]
単著[編集]
- 『秩父札所順礼』(栗原胡秋著、西武鉄道株式会社観光部編、西武鉄道株式会社観光部、1962年)
- 『所沢の歴史資料』(栗原仲道、1964年)
- 『法印亮盛の生涯――坂東観音霊場記-その人と事蹟-』(栗原仲道、1967年)
- 『東都五色不動巡拝記――付不動信仰拙稿』(宝積庵[宝積シリーズ]、1969年)
- 『狭山地蔵菩薩巡禮記』(所沢郷土史会・関東仏教研究会[宝積シリーズ]、1969年)
- 『西武蔵の歴史民俗』(郷土の歴史刊行会、1971年)
- 『武州瀧ノ城址』(郷土の歴史刊行会、1971年)
- 『金山の歴史』(埼玉県郷土文化会所沢支部、1972年)
- 『鎌倉街道Ⅰ歴史編』(有峰書店、1976年)
- 『新京の地図――長春回想記』(経済往来社、1977年)
- 『秩父路の信仰と霊場――秩父札所記』(国書刊行会、1976年、改訂版1981年)
- 『坂東観音いまむかし』(国書刊行会、1987年)
- 『鎌倉街道をゆく』(埼玉新聞社、1998年)
- 『栗原仲道論稿集』(大福寺、1998年)
- 『所沢の城跡・館跡――柳瀬川流域の歴史と文化』(栗原仲道、1999年)
- 『所沢の古社・古寺――柳瀬川流域の歴史と文化(二)』(栗原仲道、1999年)
- 『所沢の古社・古寺(二)――柳瀬川流域の歴史と文化(三)』(栗原仲道、1999年)
- 『所沢歴史余談』(栗原仲道、1999年)
- 『武野漫筆』(日興書籍、1999年)
- 『わが国における山岳信仰の伝統』(栗原仲道、1999年)
- 『所沢百句』(栗原仲道、2000年)
- 『柳瀬川流域の歴史と文化』(栗原仲道、2000年)
- 『武蔵野の記録――著作目録栗原仲道』(栗原仲道、2002年)
- 『行雲流水――栗原仲道句歌集』(栗原仲道、2004年)
- 『所沢市上山口金乗院の銅鍾』(郷土の歴史刊行会、発行年不明)
- 句集『白い墓標』[4](発行年不明)
共著[編集]
- 『所沢の文化財と風土』(内野弘、斉藤修治、小沢和一共著、所沢市教育委員会、1977年)
編著[編集]
- 『武蔵野狭山観音順礼記』(栗原胡秋編、関東仏教研究会、1964年)
- 『現代訳般若心經』(篇、東方庵、1968年)
- 『川越夜戦史考』(埼玉県郷土文化会所沢支部[狭山史稿]、1972年)
- 『大石氏の研究』(杉山博共編、名著出版[関東武士研究叢書]、1975年)
- 『埼玉県の民話と伝説 入間編』(小山誠三、神山健吉共編、有峰書店、1977年)
- 『写真集明治大正昭和狭山 ふるさとの想い出305』(今立鉄雄共編、国書刊行会、1985年)
- 『武蔵野の一口言葉――ちちの実の父ははそ葉の母が語り伝えし』(編、栗原仲道、2001年)
- 『廻国雑記――旅と歌』(編、名著出版、2006年)
出典[編集]
関連文献[編集]
- 郷土の歴史刊行会編『栗原仲道著作目録集』(郷土の歴史刊行会、1971年)