石重貴
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石 重貴(せき じゅうき、914年 - 954年?)は、五代十国の後晋の第2代皇帝(在位:942年 - 946年[1])。歴史的には出帝(しゅってい)、少帝(しょうてい)と言われる[1]。
生涯[編集]
父は石敬儒といい、後唐の荘宗に仕えた騎馬の将軍であったが早世した[1]。このため叔父の高祖に養われて寵愛された[1]。
942年に高祖が崩御すると跡を継いで即位する[1]。ところが高祖時代からの宗主国である遼に対して強硬派である禁軍の将軍・景延広の意見を容れて背いたため、太宗の攻撃を受ける[1]。高祖時代からの有力な配下である劉知遠は重用されていないことに不満を持っていたため出帝に対する援軍を出さず[2]、後晋軍は遼軍に敗れて捕虜となり、ここに後晋は滅亡した[1]。
太宗が開封から退去すると石重貴は身柄を北方に連れ去られた。その後の石重貴は食糧に困り側近も寵姫も取り上げられた悲惨な生活を送らされた[2]。954年まで存命の記録が伝わるがその後の記録が無いため[2]、この頃に没したのかと推測される。