石田 利資(いしだ としすけ、文化5年(1808年) - 明治22年(1892年)5月)は、江戸時代後期から明治時代にかけての庄屋。石田三成の8代目の子孫。
父は石田利周。弟に石田金作。通称は八郎右衛門、俊蔵[1]。
嘉永4年(1851年)の父の死後、備中国小田郡吉田村の庄屋の地位を継承する。明治25年(1892年)5月に85歳で病死した[1]。
備中石田氏宗家はその後、子の石田利雄が継承し、その後3代を経て、昭和60年(1985年)の時点では石田浩一という人物が岡山県笠岡市吉田に在住しているという[1]。