石田 利周(いしだ としちか、? - 嘉永4年(1851年)1月)は、江戸時代後期の庄屋。石田三成の7代目の子孫。
父は石田利綱。通称は八郎右衛門[1]。
享和2年(1802年)の父の死後、備中国小田郡吉田村の庄屋の地位を継承する。嘉永4年(1851年)1月に病死し、子の石田利資が跡を継いだ[1]。
利周の時代に備中石田氏は宗家と分家に分かれており、子の石田金作が分家を創設している[1]。