相合元綱(あいおうもとつな)は毛利弘元の息子。船山城主。
- 生誕は不明だが、毛利元就の異母弟の為、1497年以降と考えられている。
- 1517年の安芸武田氏との戦いである、有田中井手の戦いに参加し、複数の将を討ち取る成果を上げる。
- 1523年に元就が当主に決定する連判状に名を連ねており、この時はまだ元就へ従う姿勢を見せている。
- 1524年元就の政策に反対する坂広秀や渡辺勝と共に尼子氏協力して、異母兄の毛利元就を当主から下ろし、尼子氏から養子を取り当主とする計画が元就に知られてしまい、元就の差し向けた軍に敗北し船山城で自害し、この世を去る。同様に坂広秀や渡辺勝も自害している。
関連項目[編集]