白石藩
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白石藩(しろいしはん)とは、明治時代初期にわずかな期間に存在した藩である。藩庁は白石城。藩主家は外様大名の南部氏。石高は13万石。現在の宮城県白石市に存在した。
概要[編集]
慶応4年(1868年)1月から開始された戊辰戦争で、盛岡藩主の南部利恭は奥羽越列藩同盟に参加して明治政府と敵対した。このため、明治元年(1868年)12月に明治政府の命令により、利恭は盛岡藩20万石から13万石に減封された上で、所領を陸奥国白石に移封されることになった。白石はもともと伊達氏の仙台藩の所領で、安土桃山時代から江戸時代初期には伊達政宗を支えた片倉景綱や片倉重綱を輩出したことで有名であるが、仙台藩も同じく列藩同盟に参加して明治政府から所領を削減されており、白石の地は命令で南部氏に譲られることになっていた。
ところが、盛岡藩も仙台藩も江戸時代を通じてどちらも同じ土地を支配し続けてきた大名であるだけに、その長年の所領を離れて他領に移ることは双方に大混乱を招くことになった。明治2年(1869年)7月、利恭は明治政府に対して70万両の大金を献金することを条件にして白石藩移封を取り消され、盛岡藩に帰藩することを許され、同年10月に盛岡藩に戻ったので白石藩は廃藩となった。
わずか10か月程度の藩であるため、不明な点が非常に多い。
歴代藩主[編集]
- 南部家
13万石。外様。
- 利恭(としゆき)