玖珠城
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玖珠城(くすじょう)とは、現在の大分県玖珠郡玖珠町山田伐採山にかつて存在した日本の城である。
概要[編集]
豊後森駅から南西におよそ2キロ、玖珠盆地のすぐ南のメーサ、標高685メートルの伐株山に存在した城で、伐株の名の由来はその昔に楠の大木が存在し、その切り株が土石と化して現在の山になったという伝説からである。
奈良時代には洪獐寺という寺院が建立され、後に高勝寺あるいは興正寺と名前を変えた。南北朝時代の建武3年(1336年)、玖珠の豪族である清原氏が南朝に味方し、高勝寺の堂宇を落として籠城した。これが玖珠城の起源といわれ、このため城の名は高勝寺城とも呼ばれることになる。この城には周辺の南朝勢力も味方し、さらに清原氏は肥後国の菊池氏とも同盟を結んだので、この城は九州における南朝勢力の一大拠点になった。
北朝方は一色頼行を討伐軍の総大将として派遣し、これに大友氏泰以下の豊後国の勢力が味方して、建武3年(1336年)3月から激戦が繰り返され、7か月後の10月に落城して南朝勢力は四散した。
戦国時代は大友氏の領土であった。後に安土桃山時代になると、1586年の豊薩合戦における大友方の拠点の1つとして島津氏に抵抗したが、激戦の末に落城している。この時に廃城となった。江戸時代、周辺は西国筋郡代管轄の天領となっている。
現在は山頂に高勝寺の跡と土塁が残されている。麓から登山道が開かれ、ハイキングに最適で湧き水もあるのでキャンプもできる。山頂からは玖珠盆地が一望でき、その他にも多くの景勝地を眺望することができる。