王双 (228年没)
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王 双(おう そう、? - 228年)は、中国の三国時代の魏の武将[1][2]。
生涯[編集]
228年に蜀の諸葛亮が陳倉を包囲して攻撃に失敗し、兵糧が尽きて撤退する際に曹真の命令で王双は騎兵を率いて蜀軍を追撃するが、敗れて討ち取られた[1][2]。
『三国志演義』では第97回で登場し、字を子全(しぜん)と設定され、隴西郡狄道県(現在の甘粛省天水市)の出身とされている。身長は9尺(約210センチ)の大男で、顔は黒く、眼は黄色く、虎や熊に似た体つきとされ、60斤(約13キロ)の大薙刀と鉄芯の弓、流星槌を使いこなす勇将とされている。曹真から曹叡に推挙され、曹叡は王双の勇姿を見て気に入り、出陣の際に金の鎧を下賜して虎威将軍に任命して先鋒を命じた。諸葛亮が派遣してきた謝雄ら2名の将軍をあっさりと討ち取り、次に派遣されてきた張嶷に重傷を負わせるなど華々しい活躍を見せる。しかし武勇には長けているが智慧に乏しい性格で、第98回で諸葛亮の計略で本陣から出撃したところで火をかけられ、王双は慌てて陣に戻ろうとした際に不意をついて現れた魏延に叩き斬られた。