爆弾三勇士
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爆弾三勇士(ばくだんさんゆうし)とは、戦前の日本における兵士の美談である。この美談が後に教材にまで利用され、国民の士気高揚にまで利用されることになった。別名は肉弾三勇士(にくだんさんゆうし)。
概要[編集]
昭和7年(1932年)1月28日に第1次上海事変が勃発するが、この事変の最中である2月22日に行われた第1次総攻撃の廟行鎮の戦闘の際、混成第24旅団所属の工兵第18大隊(久留米)の江下武二・北川丞・作江伊之助の3名の1等兵らは、爆弾を竹筒で包んだおよそ3メートルの破壊筒を抱いて鉄条網に突入して爆死した。当時の陸軍はこれを友軍の突撃路を切り開く覚悟の自爆と発表。さらに当時の新聞やラジオなどのマスコミがセンセーショナルに報道したことから、日本全国で熱狂的な話題になった。
なお、これは3兵士の暴挙ではないかと言われている。というのは爆弾筒を抱いて敵地に突撃する戦法は他の部隊でも戦いでも試みられており、何もこれが初めてではない。通常は導火線を1メートルにして、爆破地点でマッチで点火する手筈であった。そうすればほとんどの場合は破壊工作を終えて安全に帰還することが可能だった。ところがこの手筈で行った他の兵士は敵の狙撃を受けて失敗したので、この三勇士の爆弾筒は導火線が50センチにして点火した後に突撃したと言われている。
この軍国美談に日本の国民は「爆弾三勇士の歌」をはじめ、銘酒「三勇士」「三勇士饅頭」まで作るほどであり、この美談が日本国民を軍国主義に突き進ませる遠因になったのは事実である。