無
無(む、英:nothing, naught)とは、物事の打ち消しを表す言葉である。
概要[編集]
無とは、一般的に「そうでないこと」である。無のみで有の打ち消しを行い、存在しない物事のことを表す場合もある。
数学[編集]
数字で表すのなら0と表すことができる。何らかの物や数等に、無を加えても変化は起きず、無を減じても変化は起きない。無と何らかを掛け合わせると、無が「有」を打ち消し無となるといえる。
また、集合で表すならば空集合となる。空集合は要素を持たない集合のことである。
物理学[編集]
物理学においては、真空が無であると信じられてきたが、突如電子と陽電子が登場することがわかり、物理学における無は無いとされている。
哲学[編集]
概念[編集]
先述した「無」から離れて、「無」を、哲学的に「何もないこと」と定義する。例えばビッグバン以前の世界、つまり宇宙が誕生する前の、物質が何も存在しない世界である。あるいは現在においてまで存在することが無い、あるいは存在しえない物質のことを指す。存在しえない物が「無」ないであるから、つまり私たちは「無」を実感することはできない。裏を返せば存在という概念について私たちは知り尽くせていないのではないかということになる。概念は具現化しにくいため、このことは当たり前である。
矛盾[編集]
この節も哲学的な無について考えてみる。
第一の矛盾[編集]
先程「無」とは「何も無いこと」だと述べた。しかしこのことには矛盾が生ずる。「何も無いこと」「存在しえないこと」ということは、そもそも無とは「語られることもないもの」でもあると言える。存在が「無」なのであるのだから。ビックバンの発生する前についても、「ビックバンが発生する前」というその状況、概念が存在することになる。要するに、これら「無という存在」である。
第二の矛盾[編集]
ここでさらに矛盾が発生する。先程「無は語られることがあってはならない」と述べたが、これ自体が矛盾していると言える。この場で、語られるはずのない「無」について語ってしまっているのでないか。結局、私たちが考える「無」は見せかけの「無」であったのではないかと思う。我々人間は物質の存在しないものを便宜的に「無」としているということである。
第三の矛盾[編集]
「無」というのは本質的に「無」である場合、何も生じえない。なぜならば、発生させる要素がないからである。無から有は生じないといっているが、ビッグバンの前例がある以上これは矛盾してしまう。この場合、ビッグバンが発生する前も一定の有であった可能性が生まれてきてしまう。
なぜ何もないのではなく、何かがあるのかという問題[編集]
しかし、その一定の有は何から生じたのかという問題も発生し、無から有は生じないため、最終的になぜ何もないのではなく、何かがあるのかという疑問が発生する。
天文学[編集]
宇宙の外側は「無」では無い。もし宇宙の外側が「無」であったなら、宇宙の膨張する速度は現在よりももっと速く、宇宙はあっという間に拡散しきってしまい、銀河や太陽系が存在する事は無かった、という説がある。